いまここ、
地上の楽園化プロジェクト

春のうららの♪

すみだ川物語

桜の花が開き『春爛漫』のシンフォニーが聞こえてくるようだ。
向島育ちの私にとって隅田川は故郷である浅草から船に乗り、“人生の探しもの”を求めて、一人散歩に出かけた。
 船は『竜馬』イイ名だ。船上デッキは春の一等席だ。心地よい風が頬を撫でながら「春デスヨ」と囁く。

 次男坊が未だ5歳の頃、ディズニーランドへ行ったとき、真夏の暑い日、1時間も行列、シンドイ気持ちもあったが、
一緒に並ぶ子供の目がキラキラ輝いている。私はソノ目を見て“こんなに子供が目を輝かしている。
大人が目を輝かす大人のディズニーランドはこの世の何処にあるんだろう。 - 朝の満員電車の顔が思い浮かんだ。
 
船内アナウンスが深川芭蕉庵を説明している。
『荒海や佐渡によこたふ天河』大自然と宇宙に一体となった悟り人の詩。
日本人の遺伝子に今も息づいている。
 何故だろう、この1ヵ月、私が5歳の頃、深く眠っていた記憶が浮かんでくる。それは信仰心の厚い両親の思い出。
毎朝、仏壇に手を合わせ・・・ナムアミダブツ、ナムアミダブツと唱える母に
「母ちゃん、本当に極楽と地獄ってあるの?」
「あるんだよ、極楽の人たちも地獄の人たちも大きなテーブルにオイシイ料理があり長いオハシが置いてあるんだよ。
地獄の人たちは一番オイシそうな食物を見つけ我先に食べようとするんだけどオハシが長すぎて口に入らない。
極楽の人たちは“コレ、オイシイデスネ”と前の人に差し出す。
前の人も“コレモ、オイシイデスヨ”と長いオハシで差し出すから皆んながオイシイ料理が食べられる」
「・・・ふうーん」。
「自分の心次第で、いま、ここが極楽にも地獄にもなるんだよ」

 眼前に佃島の超高層マンションが現れ、波しぶきの先から未来の風が急に吹いてきた。
「竜馬」は竹芝桟橋まで船を乗り継ぎ、お台場へ向かう。
 2019年コロナ直前まで白人が大挙して来日、地球環境、カネカネお金の奴隷化社会、ストレスによる現代病の蔓延、
彼らは自我の西欧文明の限界からつぎの時代のヒントが日本にあるだろうという関心。
自我の文明から無我と真我を遺伝子に持つ日本文化。
先ず世界が変わる前に個々人の内側で自我と真我のサスティナブルに彼らは気づいた。
ヨガと禅ブームの先に人類意識の覚醒が始まり日本女性の多くが動いている。
内なる大航海の時代 ― 日本発地球維新。

 コロナは新時代を生むお産婆さんになりスピリチュアルに目覚めた霊性の時代
― 万人の胸中に内在神あり ー
“いま、ここ”が地上の楽園化プロジェクトへ一人一人が自分の人生の夢に挑戦するとき、
大人の目はキラキラ輝く。夢のような時代豊かな自己実現型社会が始まる。

船はお台場に着いた。シーサイドも“春”で一杯だった。
裸足で波打ち際を走る子どもたち。幸せそうな笑顔で語り合う若いカップル。
場違いのような芭蕉オジサンも自然に笑顔になっていた。
レインボーブリッジの下で春の海面がキラキラ巨大な鏡のように輝いていた。